悦渓和尚の語録の写本に見入る調査会委員=京都市の大徳寺真珠庵

畠山氏創建、龍源院と縁深かった 等伯の師・等春 京都で調査

2020/03/14 01:51

 七尾生まれの画聖長谷川等伯と一門の画業を探る「等伯と一門ルーツ探訪」の第5回調査は13日、京都市で2日間の日程で始まった。初日の臨済宗大徳寺龍源院(りょうげんいん)では、等伯の師で謎の多い等春との関係を探り、能登の守護大名である畠山氏が絵師だった等春を保護していた可能性が大きいとの見方を強めた。

 

 龍源院は畠山氏が建立した大徳寺の塔頭(たっちゅう)(寺院内の小寺院)である。

 

 本堂にまつられた数十点の位牌群で最古とされるもののうち1点が16世紀初頭に能登を治めていた守護大名畠山義元(1515年死去)の位牌で、建立者として特別の扱いを受けていたことがうかがえる。

 

 等伯の回顧録「等伯画説」では、等春が龍源院に絵を残したと記されている。

 

 調査会委員は、畠山氏と、等春を結ぶ鍵となったのが龍源院の二世住職である悦渓(えっけい)和尚だったとの見方を強めた。

 

 大徳寺内の塔頭の一つ「真珠庵」に残る悦渓和尚の語録の写本も分析。写本には等春を土葬した際の葬送の言葉がつづられており、記述から等春が「五十余年」の生涯だったとみられることも分かった。

 

 末尾には「永正十七(1520)年三月二十二日」と等春を土葬した日も明記され、絵師等春をしのぶ表現もあった。宮島新一委員長は、晩年の等春は畠山家が保護していた龍源院で暮らして最期を迎え、悦渓和尚が葬儀と埋葬を取り仕切ったのではないかと見立てた。

 

 「等伯画説」によると、等春は雪舟に次ぐ等伯の師匠とされるが、現存する作品は少なく、これまでは生没年もはっきりしていなかった。東四柳史明委員は「等伯の師、等春が畠山氏ゆかりの寺院とかかわりがあったことを確認できたことは、今後の等伯研究にとって重要だ」と述べた。

 

 調査は北國総合研究所が主催し、のと共栄信用金庫(七尾市)が特別協賛、北國新聞社が特別協力、七尾市と七尾美術館が協力している。