完成したマップを広げて示す5人=金沢市内

河北潟の歴史、地図に 地名や伝承書き入れ 2市2町の郷土史家協力

2020/02/12 01:24

 金沢、かほく、内灘、津幡の2市2町の郷土史家が力を合わせ、「河北潟の歴史のすべて」を収めた巨大マップを完成させた。干拓事業が始まる前の1952(昭和27)年の航空写真をベースに、地元での聞き取りで調べた古代から昭和までの地名、史跡、伝承などを事細かに書き入れた労作。15日に内灘町内でお披露目する。

 

 「よみがえる河北潟ノスタルジーマップ」と銘打った地図は、縦1・1メートル、幅2・2メートル。縮尺は約9千分の1で、今の4倍、約2300ヘクタールあった1952年当時の河北潟を中心とした地域を収めている。

 

 当時は国道8号や金沢医科大がまだなく、北陸鉄道浅野川線は粟崎海岸駅まで走っていた。八田村や大場村(現金沢市)周辺は多くの水路が流れ、水田の中に集落が点在していた。

 

 マップ制作の発端は、内灘町白帆台の辺本良治さん(68)が米軍撮影の航空写真約60枚を合成して作った地図だ。「この上に周辺の歴史を盛り込みたい」と考えた辺本さんの呼び掛けで郷土史家が集まり、昨年5月に「河北潟を囲む会」ができた。

 

 津幡町文化財保護審議会副会長の芝田悟さん(71)が代表となり、金沢市は大浦公民館長の本嶋千加良さん(74)、かほく市は石川県農村文化協会理事の松井英俊さん(77)=同市内日角=、内灘町は町文化財保護審議会長の竹田菊夫さん(76)がそれぞれ担当した。

 

 市町村史など文献調査にとどまらず、旧家や古老への聞き取りに力を入れ、当時の用水や道路、橋、寺社、石碑などを網羅。金沢市東蚊爪町に終戦直後まであった金沢飛行場、かほく市内日角と金沢市須崎町を結んでいた船の航路、新田開発の歴史を伝える「百人新開」「百六拾石開」といった文字など、数百項目を記載した。

 

 「芙蓉(ふよう)湖」「清湖」といった潟の別称と由来、かつて行われていた20種近くもの漁、埋め立て後の現在の湖岸線も記入してある。

 

 今後は詳しい解説を収めた図録を作る。学校への寄贈や出前講座も行いたい考えだ。芝田代表は「地図を見て、若い人が知らなかったふるさとの歴史を知り、お年寄りが新たな思い出を語ってくれればうれしい」と話した。

 

 マップの公開展示(北國新聞社後援)は15日から3月30日まで、内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」で行い、他の市町でも順次展示する。