加賀市山中温泉九谷町の九谷古窯跡。2008年には色絵磁器片が出土し発掘調査の説明会が開かれた

九谷古窯開窯「1642年頃」 通説より約10年早い新説

2019/10/22 01:41

 県立歴史博物館学芸主幹の北春千代氏(72)は21日までに、九谷古窯(こよう)(加賀市山中温泉九谷町)の開窯時期について、通説から10年程度さかのぼる1642(寛永19)年頃とする新説を発表した。発掘調査に基づく科学データに加え、北氏は加賀藩3代藩主前田利常が1637(寛永14)年、家臣を長崎に派遣したとの記録に着目。その際に有田の陶工を連れ帰り、加賀に窯を開かせたとみて、加賀藩の文化振興に力を入れた利常の影響を指摘した。

 

 九谷古窯の最新の発掘調査では、確認されている中で最古の「1号窯」の築造年代が1670年から前後30年の範囲、「2号窯」が1710年から前後40年の範囲と推定されている。1号窯の構造や築窯(ちくよう)技術は有田と酷似しており、陶工の集団移住が指摘されてきた。

 

 北氏は、利常が家臣を長崎に派遣した同年、有田を治める鍋島藩が陶工の数を制限していたことに着目。有田で職を失った陶工を利常の家臣が加賀藩に連れ帰り、開窯の祖とされている利常の三男で大聖寺藩初代藩主の利治(としはる)が、寛永年間(1624~44年)の末から正保(しょうほう)年間(1644~48)の初めに1号窯を築かせたと推測した。

 

 九谷古窯に関わったとされる加賀藩士後藤才次郎については、1642(寛永19)年の「大聖寺藩分銀帳」に「百五十石、後藤才次郎、内五十石本年加増」との記述があった。北氏は「陶石の発見か築窯の功績が認められての加増ではないか」と読み解き、この年を中心として、通説の1655(明暦元)年頃よりも前に窯が開かれた可能性が高いと結論付けた。

 

 北氏の新説は、27日まで加賀市の県九谷焼美術館で開催されている特別展「大聖寺藩創設380年記念 後藤才次郎磁佛と古九谷」の展覧会図録と、同美術館紀要「九谷を拓く」に掲載された。