地中に一部が埋まっているのが確認された玉泉院丸庭園南東部の石垣=金沢城公園

石垣の高さ3倍だった 金沢城・玉泉院丸庭園 調査研が発掘

2018/08/24 01:51

 金沢城公園玉泉院丸庭園の南東部にある石垣の高さが、作庭当初は現在の3倍超の7・5メートルだったことが23日までの県金沢城調査研究所の発掘調査で分かった。地中に埋まっていた石垣の基礎部分は隙間の多い粗加工石積(あらかこういしづみ)だったことから、かつては切石積(きりいしづみ)ではなかったことも判明。切石積に代表される意匠性の高い「見せる石垣」に積み直したのは17世紀後半との見方が強まった。

 

 23日、金沢城公園の調査現場で報道向け説明会が開かれた。

 

 研究所によると、全国の城郭の石垣は通常、守りを固めるために造られる。ただ、金沢城は防御機能強化に加え、「石垣の博物館」と称されるなど外観を重視した石垣が特長で、石材加工や積み方は築城から幕末期まで7期に区分される。

 

 切石積は整った石を隙間なく並べる「見せる石垣」の代表例で、3代藩主前田利常の時代に当たる4期に登場した。五十間長屋、橋爪門の基礎になっており、研究所は昨年度からルーツを探る研究を進めている。

 

 1634(寛永11)年に玉泉院丸庭園が整備されるとともにいもり坂下の石垣も設けられたが、江戸期の改修で盛り土が繰り返され、本来の高さが分からない状態にあった。研究所は石垣に沿って掘り下げ、基礎が地表より3・8メートル下にあることを確認した。

 

 また、通常の石垣は水平に整備されるが、南東部の石垣はいもり坂に沿って斜めに低くなっていたことから、1907(明治40)年に旧日本陸軍が坂を設けた際、一部を削ったと考えられる。初期の高さは7・5メートルに達していたことが推測されるという。

 

 研究では切石積が造園当初からあったのかどうかも焦点だった。遺構の掘り下げで、石垣の基礎から1・3メートル(3段分)は切石積ではなく、粗加工石積だったことが判明。粗加工石積は切石積より隙間が多く、出現年代が古いため、元々、石垣全体が粗加工石積だったのを後に積み直したことが明らかになった。

 

 さらに、発掘現場の地層からは池底の堆積層も確認され、庭園の池が石垣まで広がっていたことが分かった。その後の度重なる盛り土で池は現在の復元位置まで狭くなったとみられる。

 

 城内の切石積石垣が多様化したのは5代綱紀の時代の5期で、色紙短冊積などが生み出された。研究所は「城内の別の石垣でも地中の基礎部分が別の古い積み方になっている可能性はある」とみており、今後、調査対象や方法を検討する。

 

 研究所は25日午前10時から午後3時まで、一般向けに現地を公開し、調査の成果を紹介する。