連載企画 加賀百万石異聞「高山右近」

北國新聞朝刊(2002/09/10付)
南蛮寺と金沢城 〜
共通する「建築家」の感性 黒い隅柱に力強さ、優美さ

金沢城の菱櫓。南蛮寺は発掘の結果、下部で約11メートル四方だった。菱櫓は10.15メートルでほぼ同規模であることが分かる
 2枚の写真がある。戦国期の京都に建てられた南蛮寺と昨年復元されたばかりの金沢城の菱櫓(ひしやぐら)だ。16世紀の京都と21世紀の金沢―。時空を超えた2つの建物が、よく似ているのである。
 似ていると感じる要素は1つには、ともに3階建てであること。2つには屋根の形が同じ入母屋であること。3つ目は隅柱が黒く縁取られていること―などだ。だが、見えないところに極めて暗示的で重要な共通項がある。2つの建物は、ともに高山右近の手の跡が残っているとみられることである。
 2つの建造物を「右近」という糸でつないでみるとどうなるのだろうか。
 京都の南蛮寺は1575(天正3)年に建設されたと言われる。ヴリニァーノら宣教師の書き残したものによると、南蛮寺は日本人の設計と日本人の大工によって建てられるのが原則とされた。だが、日本風を旨としながらも、西洋の教会建築が天に向けて高くそびえたように高層を目ざす意志が現れたのだろうか、京の人々が「上からのぞかれる」と反対した3階建ての南蛮寺は、織田信長の意向もあって建設にこぎつけた。
 この京都の南蛮寺や安土のセミナリヨ、さらには大坂の教会建設などに、右近は設計から木材調達まで献身的に働いたことはフロイスの「日本史」などに書かれて、よく知られる。後に築城の名手といわれる右近は、南蛮寺建設にも豊富な経験を持っていたのである。
 では、一方の金沢城はどんな特色があり、そのデザイン的特徴はいつごろ確立されたのだろうか。右近はどうかかわったのか。
 右近が加賀に来た1588(天正16)年、入城5年目の前田利家は本格築城を進めている最中だった。天守閣は1586年か翌87年には完成していたといわれる。金沢に入る前のことで、右近は無論この初期築城にかかわっていない。
 加賀に伝わる「金城深秘録(きんじょうしんぴろく)」や「三壷記(みつぼき)」によると、右近が金沢城築城にかかわるのは1592年の文禄の大改修ころからとみられる。続いて関ケ原の戦い(1600年=慶長五年)直前には、内惣構堀の掘削の指揮もとった。
 1602(慶長7)年、金沢城本丸の天守閣が落雷で炎上。翌年、天守閣に替わって3階櫓が建てられた。大改造を指揮し続けた築城の名手・高山右近が再建にもかかわったことは想像に難くない。この後も1609年に利長のため高岡城を設計するなど、右近は慶長期の加賀藩では築城家として働き続けだったのである。
金沢城のデザイン的特徴は、どの建物にも、鉄板で保護された黒い隅柱があることだ。優美な白壁を引き締め力強く見せる。左から石川門。真ん中が三十間長屋。右は成巽閣辰巳長屋
 今に残る3階櫓の立体図や城郭図を見ると、右近が築城に活躍した慶長期に現在の金沢城の原型ができていることがわかる。それまでの利家時代に築いた戦国仕様の黒っぽい造りの金沢城は「漆喰(しっくい)にナマコ塀」の白い城郭に変身していったのである。
 以後、金沢城は幕末まで二百数十年余にわたり、何度も改修を重ねた。その間、慶長期の基本デザインを崩すことはなかった。独特のデザインの特徴は「漆喰にナマコ塀」と建物の隅柱を黒い鉄板張りにした点である。
 城郭の柱は防火上、壁に塗りこむのが普通だが、あえて黒い鉄板張りの柱を外に出すことによって、白壁が引き締まり、優美さの中に強さが生まれるのである。金沢城は横に伸びる水平線が美しい繊細な城郭なのだが、よく見ると”西洋風の垂直線”を要所に生かしたデザイナーセンスが光る建築物なのである。
 全国の主要な城を探しても、この黒い隅柱の特徴を示す城はない。それほど類例のない金沢城独特の「黒い隅柱」と唯一共通するデザインと雰囲気を、京都の南蛮寺にみることができるのである。果たして単なる偶然だろうか。高山右近が共に、その建物の背景にいた事実を考えれば、似通った部分があって当然といえないだろうか。
 右近は26年間も金沢に住みながら、足跡や遺物は極めて少ない。が、金沢城そのものに右近の建築家としての感性を感じ取るなら、これほど巨大な遺産はないといってもいい。

●〔統一デザイン〕
 金沢城独特の黒い隅柱デザインは櫓にも長屋にも、あらゆる城内の建物に使われている。古絵図には隅柱が描かれたものと描かれていない城郭もあるが、現存する1787年再建の石川門、1858年建設の三十間長屋、1822年建築の成巽閣辰巳長屋などにはすべて残っている。昨年復元された二の丸菱櫓も19世紀初頭に再建された建物を正確に復元したもので、そのルーツをたどれば慶長期に高山右近がかかわった金沢城の統一イメージを忠実に受け継いだ建物だ。

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