連載企画 加賀百万石異聞「高山右近」

北國新聞朝刊(2002/06/04付)
汝、姦淫するなかれ 〜
秀吉も一目置いた「品行方正」 大坂城で政権中枢に入る

大阪歴史博物館から見た復元・大阪城。今は高層ビルに囲まれて都会的な光景を演出する。秀吉時代の石垣づくりに高山右近は指揮を執ったとされる
 賤ケ岳の戦いで敵味方に分かれ、敗北とも勝利ともつかぬ「苦杯」をなめた前田利家と高山右近は、共に1つの結論を受け入れることになる。仕える主(あるじ)が織田信長から羽柴秀吉に代わったという単純で明快な事実である。天正10(1582)年6月の本能寺の変に始まり1年余続いた戦いの日々の、これが結論だった。
 賤ケ岳の戦いで、利家は「裏切り」といわれ、右近は「敵前逃亡」の汚名を浴びせられた。戦国武将としては極めて屈辱の一戦だったはずだ。ところが実は、2人ともこの戦いで得たものは極めて大きかったのである。
 能登にいた利家は加賀に領地を広げ、百万石の基礎を築く。右近は秀吉側近として信長時代以上に登用され権力中枢に入る。恩賞どころか逆に転封され、秀吉の天下取りを黙って認めざるを得ない武将も多かっただけに「賤ケ岳で得したのは利家と右近だけだった」「秀吉が物惜しみせぬことを示したのは前田利家に対してのみであった」(「高山右近の生涯」ヨハネス・ラウレス著)などといわれるのである。利家と秀吉の個人的な強いつながりがあったことは理解できるが、では右近に対する秀吉の信頼と高い評価はどこからきたものなのだろうか。
 素朴な言葉で言えば右近の戦いで見せる「勇敢さ」と「忠誠」「品行方正」「裏表のない人格」に秀吉は信頼を置いたのである。とりわけ自らの品行に問題のあった秀吉は「忠誠と正直の権化」(ヨハネス・ラウレス)のような右近を評価したのである。自分の欠点を素直に認め、対極にある人格を認めるのも秀吉の偉大さの1つだったのかも知れない。次のような会話が残されている。秀吉が修道士に改宗を勧められたときのことである。
 「もしバテレンたちが予に多くの側室を持つことを許すならば、予もキリシタンになるであろう。その点だけが予にはデウスの教えが守りにくいものに思われる」(「豊臣秀吉と南蛮人」松田毅一著から)
 冗談半分であったにしても、当時の一般的武将の考えとキリシタンの教えとの溝がよく理解できる話である。「汝(なんじ)、姦淫(かんいん)するなかれ」の戒めは秀吉だけではなく、当時のほとんどの武将にとって、実現困難なものに思われていたのである。(フロイス「日本史」第48章)
 右近の高潔ぶりは有名だった。ある時、武将たちが猥談をしていたところへ右近が通りかかった。一同シーンとして、たちどころに卑わいな話は止んでしまったという。イエズス会文書に残るエピソードで、海を越えてローマにまで伝わるほどの潔癖さだった。これでは面白味に欠ける人間ではないかと心配されるほどだが、加賀藩史稿にも「右近は勇敢、難に処して屈せず。堅忍の節、常人に超絶す」とある。
 ただ、秀吉が重用したのは”品行方正の代表”右近一人ではなかった。キリシタン関係者の多くを側近に置いたのである。その理由を先の「高山右近の生涯」はこう分析している。
 「彼(秀吉)は成り上がり者であり、信長の息子たちのみならず、功名心ある諸将を滅亡させ、または恥ずかしめたので、当然かれらの復讐を恐れ、従って自分が信用できる確かな人物を(側近に)必要とした」。その人物が高山右近に代表されるキリシタンだったというのである。
 天正11(1583)年4月の賤ケ岳の勝利で、ほぼ天下を掌中にした秀吉の次の一手は早かった。同年5月には大坂城築城に着手する。信長の安土城を越える規模の城を造ることで、新しい天下人であることを世に示し、戦略的には西国をにらむ巨大なシンボルが必要だったのである。
 既に、築城の名手と評判の高かった右近は、石垣普請などに腕を振るう。瀬戸内海各地から巨石を運んだといい、「巨大な石は輸送に千人の人手を要した」などと活躍ぶりが残されている。さらに築城のかたわら、秀吉政権の庇護(ひご)の下で大坂城下に教会建築をすすめ、領地・高槻での布教を拡大する。
 布教の成果は大きかった。だが、思わぬ方向に広がる。政権中枢に深くかかわる大坂城の大奥にまで、数多くのキリシタン女性が登場するようになるのである。「国家機密」が外国人宣教師に筒抜けになることを意味していた。秀吉と右近の、この過ぎたる蜜月の日々が、やがて小さな波乱の芽となっていく。


●〔大坂城〕
 秀吉が城を築いた大坂は、宿敵、一向宗の石山本願寺の跡であった。本願寺の時代「加賀の国から城造りを召し寄せ」(信長公記)とあるように、加賀の国には相当の城造り集団が存在していたことがわかる。右近の建てた大坂初の教会は現在の天満橋付近にあったと推定される。(明治以前の地名については史実にそって「大坂」と表記します)

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