きょうのコラム『時鐘』

2019/11/23 01:05

 子(こ)どもの姿(すがた)を見(み)れば国(くに)の現状(げんじょう)が分(わ)かる。戦火(せんか)に傷(きず)ついていないか。お腹(なか)は空(す)いてないのか。親(おや)はどこに行(い)った?。1枚(まい)の写真(しゃしん)は「千(せん)の言葉(ことば)」よりも多(おお)くを語(かた)る

ローマ教皇(きょうこう)フランシスコ(82)は、原爆投下後(げんばくとうかご)の長崎(ながさき)で撮影(さつえい)された「焼(や)き場(ば)に立(た)つ少年(しょうねん)」の写真(しゃしん)を世界(せかい)に広(ひろ)げるよう呼(よ)びかけた。弟(おとうと)と思(おも)われる幼子(おさなご)の遺体(いたい)をヒモで背負(せお)って歯(は)を食(く)いしばって火葬(かそう)の順番(じゅんばん)を待(ま)っている

少年は、だれか分からない。生(い)きていれば教皇と同(おな)じ80代(だい)か。敗戦(はいせん)から立(た)ち上(あ)がった日本人(にほんじん)の同世代(どうせだい)も多い。戦火(せんか)の中(なか)でも失(うしな)われなかった責任感(せきにんかん)、凛々(りり)しさ。あれは「私(わたし)」だったかもしれないし「兄(にい)ちゃん」だったかもしれない。目(め)をそらすことができない

宗教心(しゅうきょうしん)とは、心(こころ)と心が結(むす)びつくところに芽生(めば)える素朴(そぼく)なものだと思う。どれだけの人(ひと)が、あの写真に目(め)をとめた教皇の心を知(し)って共感(きょうかん)を覚(おぼ)えたことか。平和(へいわ)を築(きず)くには勇気(ゆうき)がいることを知り、幼(おさな)い命(いのち)を奪(うば)う戦争(せんそう)の非道(ひどう)を考(かんが)えた

子どもの目を見れば国の未来(みらい)が分かる。今(いま)の日本は、あの少年たちに誇(ほこ)れる社会(しゃかい)になっているのか。静(しず)かに問(と)われている気(き)がする。