きょうのコラム『時鐘』

2020/03/29 01:30

 異動(いどう)で名刺(めいし)の肩書(かたがき)が変(か)わる人(ひと)。定年退職(ていねんたいしょく)で肩書が消(き)える人。「元(もと)」にこだわる人。3月(がつ)は名刺の季節(きせつ)である

記者(きしゃ)になった時(とき)「名刺で仕事(しごと)をするな」と先輩(せんぱい)から言(い)われた。肩書に「記者」とあれば大半(たいはん)の人は会(あ)ってくれる。ほんの1カ月(げつ)前(まえ)まで学生(がくせい)だった若造(わかぞう)でも。勘違(かんちが)いするな。相手(あいて)はお前(まえ)ではなくて「名刺」に話(はな)してくれるのだ、と

この皮肉(ひにく)を感(かん)じたのか、ある社(しゃ)の、ある記者は、こんな名刺を作(つく)ったという。真(ま)ん中(なか)に大(おお)きく「○○新聞社(しんぶんしゃ)記者」と書(か)き、その横(よこ)に小(ちい)さく自分(じぶん)の名前(なまえ)を入れた。どの職業(しょくぎょう)にもある、名刺で仕事をする者(もの)たちへのユニークな忠告(ちゅうこく)だったのだろう

駆(か)け出(だ)しのころに取材(しゅざい)した人の元(もと)へ、20年(ねん)近(ちか)くもたって訪(おとず)れたことがある。多分(たぶん)、自分のことなど忘(わす)れているだろうと思(おも)っていたら、古(ふる)い名刺を出してきて「あなたでしたね。また来(く)ると思っていた」と言ってくれた。感動的(かんどうてき)な再会(さいかい)に、名刺の力(ちから)をあらためて考(かんが)えたものだ

名前と住所(じゅうしょ)だけの名刺を持(も)つ人もいる。さわやかだが、持つ自信(じしん)がない。いまだ肩書あっての自分から抜(ぬ)け出せない。名刺の中(なか)に己(おのれ)の俗気(ぞくけ)が見(み)える。