きょうのコラム『時鐘』

2019/06/26 01:23

 生(う)まれて初(はじ)めてのトンネル体験(たいけん)は小学(しょうがく)3年生(ねんせい)の時(とき)の修学旅行(しゅうがくりょこう)で通過(つうか)した「倶利伽羅(くりから)」だった。いまだに思(おも)い出(だ)す。汽車(きしゃ)が暗(くら)やみに入(はい)った瞬間(しゅんかん)の轟音(ごうおん)。抜(ぬ)けでた時の解放感(かいほうかん)

隣県(りんけん)に行(い)ったのもこの時が最初(さいしょ)だった。国道(こくどう)8号(ごう)に新(しん)トンネルができるとの記事(きじ)を読(よ)みながら思ったのである。60年前(ねんまえ)の小学生(しょうがくせい)の行動範囲(こうどうはんい)の狭(せま)さを。今(いま)の子(こ)どもたちは東京(とうきょう)や大阪(おおさか)へ遊(あそ)びに行(い)く。外国旅行(がいこくりょこう)も珍(めずら)しくない

しかし、乗(の)り物(もの)に慣(な)れた現代(げんだい)っ子が、かわいそうだと思うことがある。車窓(しゃそう)の景色(けしき)にほとんど関心(かんしん)を示(しめ)さない。かつてはトンネルが国境(こっきょう)だったことをしらない。小(ちい)さな峠(とうげ)をくぐり抜けただけで異国(いこく)が広(ひろ)がり、見知(みし)らぬ形(かたち)をした家(いえ)が建(た)っていることに気(き)づかない

「国境の長(なが)いトンネルを抜けると雪国(ゆきぐに)だった」との名文句(めいもんく)がある。この作品(さくひん)が生まれた昭和初期(しょうわしょき)まで、日本人(にほんじん)の意識(いしき)には「トンネルと国境」がセットになっていた。隧道開発(ずいどうかいはつ)の歴史(れきし)はそれほど遠(とお)くないことを示している

暗やみの先(さき)に見える光(ひかり)を希望(きぼう)といい、朝(あさ)の来(こ)ない夜(よる)はないように出口(でぐち)のないトンネルはない、なんて言(い)えばキザか、当(あ)たり前(まえ)だと罵倒(ばとう)されるか。