富山新聞社のインタビューに答える藤子Ⓐさん=昨年12月10日、東京・西新宿のホテル

若き日の藤子Ⓐさんが1952(昭和27)年3月13日付の富山新聞に描いた自画像

 「オバケのQ太郎」や「忍者ハットリくん」「笑ゥせぇるすまん」などの作品で知られ、日本を代表する人気漫画家の藤子不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・えー、本名安孫子素雄=あびこ・もとお)さんが川崎市の自宅で死去したことが7日、分かった。88歳。氷見市出身。同市名誉市民。1952(昭和27)年春に高岡高を卒業後、上京するまで1年9カ月間、富山新聞社で学芸部記者などとして勤務し、生前、「人間の面白さを学んだ記者の経験が漫画家としての土台になった」と話していた。

 小学校で出会った藤子・F・不二雄(本名藤本弘)さん=1996年死去=と共に、手塚治虫さんに憧れて漫画家を目指し、54年に上京。「藤子不二雄」の共同ペンネームを使って二人三脚で創作、64年に「週刊少年サンデー」で連載を始めた「オバケのQ太郎」が大ヒットした。

 その後も藤子Ⓐさんが「忍者ハットリくん」「怪物くん」を、藤子Fさんが「ドラえもん」をそれぞれ手がけ、2人で人気漫画家として不動の地位を築いた。

 「忍者ハットリくん」「怪物くん」などが代表作で、テレビアニメやドラマになった。「笑ゥせぇるすまん」「魔太郎がくる‼」など人間の欲望や心の闇をテーマにした作品も多い。

 少年ゴルファーを描いた「プロゴルファー猿」や、藤子Fさんや東京のアパート「トキワ荘」の仲間と過ごした青春時代を振り返る自伝的漫画「まんが道」でも知られる。

 藤子Fさんとのコンビは87年に解消。藤子不二雄Ⓐを名乗り、創作活動を続けた。2005年日本漫画家協会賞文部科学大臣賞受賞。08年旭日小綬章。

 神奈川県警によると、7日午前8時40分ごろ、藤子Ⓐさんが自宅で倒れていると通報があり、その後、死亡が確認された。

 藤子スタジオは「これまで応援いただいた読者の皆様、関係者の皆様に深く感謝申し上げます」、小学館コミック局は「先生のご功績に対して、心からの敬意と感謝とともに、謹んで哀悼の意を表します」とのコメントを発表した。

 富山新聞で今年元日から今月2日まで、藤子Ⓐさんの富山新聞社時代を題材にした連載「記者Ⓐ」を計88回掲載した。

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