市民の熱狂的な出迎えを受けて行進する兵士たち=1939(昭和14)年6月28日、金沢市安江町(カラー化制作=アジャストフォトサービス、監修・協力=金沢学院大)

カラー化前の白黒写真

  沿道埋めた日の丸小旗

 カーキ色の軍服の隊列が石畳を進む。打ち振られる無数の日の丸が軍都の歓呼を伝える。1939(昭和14)年6月28日、金沢の陸軍第九師団の部隊が大陸の戦地から帰還し、金沢駅から凱旋行進した。

 「たくさんの人やなあ。歩兵は軍隊の花形やったから」。1926(大正15)年生まれの陶山(すやま)弘一さん(95)=金沢市小立野1丁目=は写真を眺めながら、幼いころ寺町で見た帰還兵の行進を思い起こす。

 見たのは歩兵ではなく、食料や武器の輸送を担う輜重(しちょう)兵や工兵だった。出迎えは写真ほど多くはなかったが、家族らが小旗を振り、兵士をねぎらっていた。

 「包帯を巻いた兵士もいた。『ああ、痛かろう』と思った記憶がある」

 写真はやや高い所から撮られており、兵士の包帯などは見て取れない。

 先頭の兵士がラッパを吹いている。馬上の部隊長に続いて、軍旗が行く。房だけ残った軍旗は歴戦の証しであり、勇猛でならした第九師団の誇りだった。

  ひげ伸び放題

 凱旋の写真は「堂々行進」の見出しとともに、当日の北國新聞夕刊の1面を飾った。記事を読むと、陶山さんの記憶と同じように、写真には写らない兵士の様子が描かれている。

 「何(いず)れもまっ黒に陽(ひ)焼けした両頬に顎に戦功を物語る伸びほうだいの事変髭(ひげ)、髯(ひげ)、鬚(ひげ)、戎衣(じゅうい)からは未だ消えやらぬ硝煙の香を漂わせている」

 太平洋戦争末期、第九師団は大陸から沖縄、台湾へと転戦した。陶山さんは1945年3月に徴兵され、台湾で第九師団の歩兵第七連隊に入隊、翌年まで軍隊生活を送った。

 写真の凱旋兵を率いた藤岡武雄部隊長は45年3月、第62師団長として沖縄の守備に就き、米軍との戦闘の末、6月22日に自決した。

無断転載・複製を禁じます