車、自転車、荷車が共存
赤れんがの銀行と、黒い瓦屋根の町家が並ぶ。うっすらと白雪が積もる道路を、自動車と自転車、荷車が分け合い、歩行者も平然と横切っている。
現在「百万石通り」と呼ばれる金沢市中心部の目抜き通りで、上堤町から武蔵方面にカメラを向けて撮影した一枚からは、今と違ってずいぶんのどかな空気が感じられる。
「市電が通るたび、地震みたいにがたがた家が揺れたんや」。通り沿いの「五宝(ごほう)カバン店」で生まれ育った五宝清種さん(87)=同市武蔵町=は、写真奥に写る今はなき木造の町家を見つめた。
カバン店、自転車店、薬局、飲食店…。今よりずっと狭い通りに、今より雑多な店がひしめいていた。五宝さんは「夕方は帰宅する会社員でにぎわっとった」と懐かしむ。
変化の兆しはすでに現れていた。画面中央を疾走する車は、50年代に発売された初代トヨペットクラウンワゴン。当時、あこがれの高級車だった。
美しく黒光りするシルエットは、画面右端に写る3輪の商用車、ダイハツミゼットとは大きく異なる。新しい時代の足音が聞こえてくるようである。
自家用車の普及で市電は廃止となり、通りは拡幅された。沿道の建物は1970年代に次々と消えた。左手に写る赤れんがの旧日本生命北陸支社は、東京駅を設計した辰野金吾が手掛けた珠玉の近代建築だったが、79(昭和54)年、保存運動もむなしく取り壊された。
広がった通りには、それまで以上に銀行や証券会社のビルが集まり、金融街を成した。その後、北陸新幹線が開業すると、ビルの一部はホテルへと衣替えし、観光客を迎え入れている。姿かたちを変えながら、街は生き続ける。