渋沢栄一

大正期の七尾港

  第一国立銀行金沢支店設置「県令から頼まれ」

 NHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公、渋沢栄一が1918(大正7)年、自ら敷設を後押しした七尾鉄道(現・JR七尾線)を利用し、七尾港を視察していたことが分かった。78歳の渋沢は車中で北國新聞社の単独インタビューを受け、第一国立銀行金沢支店設立の経緯などを明かしている。開業からきょうで123年となる七尾線には、「日本資本主義の父」の確かな足跡が刻まれている。

 渋沢は1894(明治27)年、津幡-七尾の鉄道敷設が議論された際、政府の鉄道会議で「地域のため大いに利益ある線路」と認可を主張した。七尾鉄道は4年後、1898年4月24日に開業した。

 その20年後の1918年6月、渋沢は北陸を巡遊し、8日に高岡から北陸線で石川県入りした。津幡駅で下車して午前9時1分発の七尾線に乗り換えた。

 午前10時57分に七尾港駅に到着するまでの間に行われた車中インタビューの模様が、9日付の北國新聞に載っている。記事によると渋沢は、記者に心やすく着席を勧め、懇意にしている金沢の横山家などの誘いで33年ぶりに石川を訪れた、と説明した。

 その上で、33年前に石川県を訪れたのは、「為替会社の失敗から第一(国立)銀行の支店を金沢に設けてくれと時の岩村(高俊)県令から頼まれたため」と明かす。金沢支店は来訪から間もない87年4月に設置された。

 その後約10年の間に、後に北陸銀行となる第十二国立銀行などが発展し、第一銀行の支店は役目を終えて廃止した、と渋沢は語る。さらに「その十二銀行も元は石川県に設けたものだが、幾変遷して遂に富山県人の手に移った」と述べ、北陸経済界の状況を的確に把握していたことが分かる。

  船で港を一周

 七尾港駅に着いた渋沢は、埠頭(ふとう)設備などの説明を受け、青海楼で歓迎昼食会に臨んだ後、船で七尾港を一周した。帰路も七尾線を使い、金沢には夜到着して宿泊した。翌9日は二つの講演に臨み、傘寿間近と思えないタフさを見せている。

 日本近現代史を専門とする本康宏史金沢星稜大教授は、渋沢がわざわざ七尾に寄ったことについて「開業を後押しした路線に乗りたかったのに加え、対アジア貿易を見据え、七尾港の設備を確認したい思いがあったのではないか」と推測する。車中談に関しては「第一銀行金沢支店設立の詳しい経緯はこれまで知られておらず、興味深い。渋沢と岩村県令の間に意外な縁があったのかもしれない」とした。

 ★渋沢栄一(しぶさわ・えいいち、1840~1931)現在の埼玉県深谷市に生まれる。幕末に欧州へ渡航、明治維新となり帰国、大蔵省入省。退職後に日本で初めての商業銀行「第一国立銀行」を設立。500社以上の創業や経営に関わり、教育、社会事業、民間外交にも尽くした。

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