津波の被害を受けた港=1月2日、舳倉島(坂口さん提供)

波が押し寄せた港近くの公園=1月1日午後4時40分、舳倉島(坂口さん提供)

岸壁に乗り上げた漁船=1月2日、舳倉島(坂口さん提供)

  ●2週間後救出の夫婦「正月じゃなかったら」

 能登半島地震は能登の「人口」が一番多くなる元日に発生し、被害が拡大したが、輪島沖の舳倉島では犠牲者が一人も出なかった。本土とは違って、一年で最も島に人がいなくなるこの日、舳倉にいたのは3人。「波にさらわれた家もある。正月じゃなかったと思うと、おとろしい」。発生から約2週間後にヘリコプターで島から救出された夫婦は北國新聞社の取材に応じ、離島を襲った津波の恐怖に声を震わせた。

 輪島港から北約50キロに浮かぶ島の人口は季節によって変わる。海女(あま)漁が盛んな夏場は約80人を数えるが、冬場は4分の1に減り、特に正月は大半が本土にある家で親族と過ごす。

 元日に地震が起きた時、島に残っていたのは北陸電力から委託を受けて電気設備の保守点検を担う坂口剛さん(57)と妻幸子さん(56)、近くに住む海女の70代女性1人だけだった。

 坂口さん夫婦は、奥津比咩神社で初詣を終え、家にいた時に地震に襲われた。2度目の大きな揺れの後、テレビで大津波警報が出たことを知った。「津波やぞ」。海女の女性と3人で避難所になっている高台の診療所に車で逃げた。

 高台から見た島の惨状に息をのんだ。港のそばにある漁協の施設や公園は波にのまれ、坂口さん夫婦が海女漁に使う伝馬船は遠くに流された。

  ●高さ4メートルの津波

 津波が引いた後、自宅に戻ると、腰の高さまで海水が入り込んだ跡があった。基礎ごと流された民家や、岸壁に乗り上げた漁船もあった。「4メートルほどの波がきとった。人がおったら、たくさん死んどったかもしれん」。津波の猛威を物語る爪痕を前にぼうぜんと立ち尽くすしかなかった。

 携帯電話は使えず、衛星電話で本土にいる娘に無事を伝え、助けを求めた。水も電気もない中、14日に自衛隊ヘリで救助されるまで、診療所や車の中で過ごし、非常用の食料や水で飢えをしのいだ。

  ●「いつ戻れるか」

 坂口さん夫婦は現在、倒壊を免れた輪島市鳳至町の家で生活している。本来なら島でノリや海藻採りをしているというが、輪島港は海底が隆起し、島と結ぶフェリーも再開のめどが立っていない。「港も輪島の街もこの先どうなるんや。いつ島に戻れるかも分からん」と剛さんは途方に暮れている。

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