常連客と交流する前田社長(左から2人目)=小松市矢崎町

半世紀を迎えた百万石リゾートレーン

 小松市南部の矢崎町、JR北陸線沿いにあるボウリング場「百万石リゾートレーン」。加賀藩の「百万石」は県内でもいろんなところで使われているが、古き良き昭和感あふれる建物は「絢爛(けんらん)豪華」なイメージの百万石からは遠いような気がする。50周年の節目を迎えた施設を訪ねてみると、県民、市民の娯楽を今も支える「前田家」がそこにあった。(小松支社・森田蕗子)

  ●県内2番目に古く

 百万石リゾートレーンは、1973(昭和48)年6月に開業した。外観、館内はほぼオープン当時のままでいい味を出している。出迎えてくれた社長の前田知一さん(69)は「今もある施設では県内で2番目に古いボウリング場やな」とレーンを見渡す。

 開設した頃はボウリングブームの真っただ中。しかし、間もなくオイルショックで来客は激減したという。スコア計算のコンピューターシステムが導入され再びブームが到来すると、子どもからお年寄りまで多くの人でにぎわった。一つのフロアに44レーンが並ぶ施設は少なく、200人ほどが出場する東日本大会などの会場としても使われるようになった。

 それにしても「百万石」の由来はどこにあるのか。そう尋ねると、私が受け取った名刺に目線を向け、前田さんがニヤニヤしていた。

 「創業者である亡くなった父の名前が前田利之(としゆき)なんや」と前田さん。加賀藩とのゆかりはないものの、「前田家」に縁を感じたからだと聞いているそうだ。

  ●「石川で商売やるなら」

 大阪で銭湯を営んでいた利之さんが、出身地の矢崎町に戻って一念発起し、ブームだったボウリング場を始めた。「石川で商売をやるなら『百万石』だろう」と周囲からのススメもあり、名称が決まった。調べてみると、十万石だった大聖寺藩の9代藩主に同じ漢字で読みが異なる「前田利之(としこれ)」がいるが、「十万石」より「百万石」の方がインパクトはあるのだろう。

 コロナ禍では来場者が半分以下に減った。それでもオープン当初からの午前0時までの深夜営業を続けている。午後10時半までに利用者がいなければ閉めるそうだが、夜は地元の常連客が大半で、前田さんは「多くはないけれど、来てくれる人がいる限り楽しんでほしいから」と話す。

 ピーク時には南加賀だけで20カ所ほどあったボウリング施設は、小松市内では長田町のマンボウと2カ所になった。最近は光熱費の高騰が経営を圧迫し、老朽化で改修しなければならない箇所が多数あるものの、なかなか手を付けられないでいるらしく、前田さんは「維持がギリギリや」とつぶやく。

 創業50周年の節目となった2023年は国民文化祭(いしかわ百万石文化祭)の開催年と重なった。「うちにとって記念の年になった。『百万石』の名に誇りを持って歴史を刻んでいきたい」と前田さん。ちなみにリゾートレーンの「3代当主」となる後継者のあてはあるという。ボウリングは友人たちと楽しむ程度だが、地域に親しまれてきた施設が藩政期のように長く残っていてほしいと思った。

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