
父孝一さんが戦病死した地でめい福を祈った長男孝雄さん(右)と二男武彦さん=今年2月、パプアニューギニアのムシュ島
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白山市徳丸町の屋敷武彦さん(65)が二十九日までに、太平洋戦争で戦病死した父孝
一さん=享年(41)=の最期の地パプアニューギニアを訪れた。「出征した時、母のお
なかの中にいた子です」。武彦さんは、一度も会うことなくこの世を去った父に静かに語
りかけ、鎮魂の祈りをささげた後、感無量で帰国した。
旧辰口町(現能美市)生まれの父孝一さんは警察官となり、滋賀県旧多羅尾村の駐在所
に赴任。出征時は金沢に戻り、東部五五部隊に所属した。一九四三(昭和十八)年三月、
女手一つで駐在所を守っていた母みつさんに一通の手紙を残し、戦地に向かった。
「子供の名前は次の如(ごと)くたのむ。男の時 武彦、女の時 武美子(ふみこ)」
。三月二十四日に生まれ、手紙の通り名付けられた。幼いころは父の戦死を知らずに育っ
た。
旧東部ニューギニアに出征した父孝一さんは、野戦道路隊に所属。マラリアか栄養失調
で亡くなったとみられ、終戦翌年の四六年一月、陸軍少尉としてムシュ島で戦病死したと
の記録が残る。
パプアニューギニアには日本遺族会主催の慰霊として訪問した。武彦さんと兄の孝雄さ
ん(70)=小松市下粟津町=が参加し、今年二月中旬、旧東部ニューギニアを訪れた。
島は戦時から様変わりし、密林に祭壇を設けて父のめい福を祈った。武彦さんは、父の帰
国を信じて「異国の丘」を歌い続けたことや家族に守られて戦後を生きてきたことを告げ
、手を合わせたという。
戦後、母と一緒に滋賀県から旧辰口町に帰った兄の孝雄さんは「父が亡くなった酷暑の
地で戦争の悲惨さを実感した」と振り返った。亡き母の霊前で慰霊の旅を報告した武彦さ
んは「母が覚えていた父の生き様を支えに生きてきた。これからも父に恥じない生き方を
したい」と話した。