今日の社説

2015/05/03 00:54

憲法記念日に 限定容認は現実的な選択肢

 日米両国が18年ぶりに改定に合意した防衛協力のための指針(ガイドライン)によって、日米同盟の本質が大きく変わる。自衛隊とアメリカ軍が協力する範囲や内容が拡大し、集団的自衛権を行使する際に想定される協力項目として、弾道ミサイルへの対処や機雷の掃海活動などが盛り込まれるからである。

 これに対し、限定的とはいえ、集団的自衛権の行使容認は、政府に許される解釈の範囲を超えた「解釈改憲」であり、立憲主義に反するとの指摘がある。憲法の「平和主義」から逸脱し、海外派兵につながるとの批判も聞く。

 それでも東アジア情勢の緊迫化をみれば、時代の変化に即した憲法解釈の限定的な変更はやむを得ない。憲法記念日を機に、集団的自衛権の限定容認は現実的な選択肢と考える理由を述べてみたい。

 東アジア情勢の最大の懸念材料は、世界第2位の経済力を背景に、海洋進出を活発化させている中国の台頭である。南沙諸島では、周辺国の反対を無視して環礁を埋め立て、軍事拠点の構築を進めている。沖縄県の尖閣諸島周辺では領海侵入を繰り返し、東シナ海に一方的に防空識別圏を設定した。

 中国の強引な海洋進出は、米軍に基地を提供し、国土防衛を任せていれば良かった安保環境を激変させた。米国の警察力の衰えもあり、現状のままでは東アジアの軍事バランスは中国有利に傾き、偶発的な衝突が起きかねない。

 新ガイドラインは「中国の軍事的圧力に日米がどう対応するか」という課題に、両国政府が示した一つの答えである。日本の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守っていくためには、やはり日米同盟の強化が欠かせない。新ガイドラインの合意事項を実行するために安保法制の法整備が必要なのである。自衛隊が果たす役割を広げ、米国をサポートしていくことで、抑止力は強化される。尖閣諸島周辺などでの武力衝突の危機は大きく軽減されるだろう。

 日米同盟はあくまで防衛的な同盟だ。中国に敵対するのではなく、平和を保つための手段である。安倍晋三首相が米議会で演説した通り、「太平洋からインド洋にかけての広い海を、自由で法の支配が貫徹する平和の海にする」目標の達成に、集団的自衛権は不可欠な要素といってよい。

 憲法学者のなかには、集団的自衛権の行使は「憲法9条の解釈の限界を超えている」として、根強い反対論がある。憲法9条が許しているのは、自衛のためだけであり、日本が攻撃されていないのに他国のために武力行使は認められないとの主張である。

 だが、憲法9条を素直に読めば、そもそも一切の武力行使を放棄しているように受け取れる。実際、吉田茂首相は当初、自衛権の発動は不可能とする答弁をしていた。それが米ソの激しい冷戦構造の下で、自衛権を認める解釈の変更があり、自衛隊についても合憲とみなす憲法解釈が定着した。

 集団的自衛権は国連憲章で各国の固有の権利として認められている。日本はこれまで憲法の制約で行使できない、との立場をとってきたが、時代の変化に応じてある程度、柔軟に解釈を変えていかないと、現実の世界に合わなくなる不都合が起きる。

 限定された集団的自衛権の行使ならば、「必要最小限度」の武力行使として許される。これが安倍政権がたどり着いた見解である。本来なら憲法改正を行うのが筋とはいえ、現実には憲法改正は極めて困難だ。ドイツのように戦後、59回も憲法を改正した国もあるのに、日本では憲法は公布以来一度も改正されていない。逆説的に言えば、時代の変遷とともに柔軟な解釈が加えられた結果、長持ちしたともいえるのではないか。

 限定容認というだけあって、武力行使の要件は極めて抑制的だ。「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にのみ許されるのである。時代の変化に伴って許される範囲内の解釈変更ではないか。憲法解釈のタガが外れたら、歯止めが利かなくなり、行使の範囲は無制限に広がりかねないといった批判は大げさすぎる。